皆さま初めまして。
板倉和之と申します。
このブログは「KARUIZAWA COFFEE COMPANY」というお店やコーヒー、軽井沢の「コト」をメインに書いていこうと思います。
ブログを書くコトにより、コーヒーや自分の事業を再確認し
「過去」ではなく「今」を見つめ直すための記し。という位置付けです。
そして、ありふれたコーヒーの中で
軽井沢コーヒーカンパニーをより知っていただければ幸いです。
(それ以外にも書いていこうと思ってはいます。)
ですが、まずはじめに。
軽井沢コーヒーカンパニーを運営している私がどんな人間なのかということを知っていただきたいと思い、この記事を書きます。
※軽井沢コーヒーカンパニーについては別の記事でご紹介していきたいと思います。
※知っていただきたいと名前を連呼していますが、ご了承ください。
現在の板倉和之
先程も触れましたが、私は日本でも有数の避暑地「軽井沢」で、自家焙煎コーヒー豆専門店を営んでおります。
別記事にまとめますが「コーヒーから生活を豊かに」というコンセプトのもと、皆さまの日々の生活の中で「豊かな時間」を作るプロセスとして、軽井沢コーヒーカンパニーがより添えればと思っております。
現在は「旧軽井沢」という小さな町に【豆専門店】と【コーヒースタンド】を出店し、多くの素晴らしいお客様との出会いも賜り、お陰様で自分の中の「コーヒーライフ」はとても豊かになっております。
まだまだひよっこではありますが
これでも経営者の端くれとして様々な悩みや不安、葛藤と戦う日々。
ですが、幸せに過ごせてます。
しかし、現在に至るまでには、本当に様々な辛い思いもありましたし、葛藤もありましたし、絶望もありました。
販売員の板倉和之
私は学歴も特技も自慢できるものも無い、普通の人間です。
基本的にネガティブ思考。
自分に自信など無く、流される。
そんな私は、高校を卒業後アパレル関係の仕事につきました。
「販売員」です。
当時は洋服には少し関心があり、おしゃれな格好をするのが好きでした。
18歳で入ったアパレル販売員。軽井沢のアウトレットで働いていました。
軽井沢といえど当時は軽井沢の歴史や文化など知らず「田舎で何もない」という感覚。
働く場所も「アウトレット」しかないと思っていました。
現に高校時代も、アウトレットにあった飲食店でアルバイトをしていました。
この頃から、将来は自分のお店を持ちたいと思っていました。
ただ漠然とですが。
「接客業」「サービス業」というのは、この頃から携わってってきました。
もっと言うと、小学生の頃近所にあったスーパーの一角のゲームセンターで、ゲームをする為に友達とそのお店のモップ掛けや窓拭きをし、お店の方に「お小遣い」をもらってゲームをしていた記憶があります。
期待と不安の板倉和之
余談ですが、当時私は人見知りな性格で、あまり目を合わせられませんでした。社会人として、接客業としては致命的ですね。
高校卒業後、アパレル販売員として社会人のスタートを切った板倉和之。
職場の先輩たちはとてもいい方ばかりで、すぐに馴染め、とても楽しく仕事をしていたのを覚えています。
しかし、先にも触れたとおりネガティブ思考な私。
在庫を発注するにも、値段を設定するにも、ディスプレイを変える時も、どこか不安を抱えやっていました。
「慎重」というと聞こえはいいかもしれませんが。
しかし「不安」は付き物と思っています。それを完全に消すことはできません。
少なくとも私はそう思っています。
もし「不安」を消せるのであれば、それは「努力してきた自信」くらいなのか。
はたまた「考え抜いた自信」なのか。
そんな中、様々な事を吸収していきながら一つ一つ仕事をこなしていき、21歳の私は当時全店舗の中で最年少のアシスタントストアマネージャーになる事が出来ました。
いわゆる「副店長」という役職です。
当時は「出世」という事がすごく嬉しく、そこにたどり着いた自分への期待が大きく、より躍起になったのを覚えています。
のちに生業となるコーヒー。
「ただ飲むもの」としてですね。
この頃はまだ、休憩中に缶コーヒーを片手に持つことがカッコイイと思っていました。
完全にダサい。
ハンドドリップなんていう言葉も知らなかったし
1杯のコーヒーのプロセスなんかもちろん知りませんでしたし
味なんてもちろん関係ありませんでした。
しかし、飲むシチュエーションというのを少し意識していたのはあるかもしれません。
持ってる事がカッコイイ。ということは、周りにそう見られたいという願望です。
そういう意味では「こういう時に持っていよう」とか「大人っぽく見られたい」とか、今考えると髪の毛が抜けそうなほど鳥肌の立つダサい考え。
そんな人間が当時の板倉和之です。
自分を見失い、得た板倉和之
それから月日を重ね、23歳でそのアパレル販売員を退職しました。理由は様々なのですが、自分の「甘え」が原因です。
もともと自分の意見があまり言えなかった人間。
社会人としては当たり前の「揉まれる」ということから逃げてしまいました。
今思えば、本当に軽率な判断でした。
退職後は1年間、4年間と働き職を変え、相変わらず販売員として働いていました。やりたい事もなく、自分に自信もなく、ただ過ごす日々。当時ものすごく将来への不安を感じていました。
ただなんとなく働いて過ごす。この事に不安を感じていたんだと思います。
そして2015年、とある会社へ転職します。
その会社ではカフェを任される事になり、忙しい日々を過ごしていました。
期待と不安に毎日揉まれ、発見をしてはまた揉まれの連続でした。
その中で、自分の目指すべきものを見失ったこともありました。
ただそこで勉強したことや培ったことは多くあります。
そんな中2016年。私はカフェに勤めていた際に会社を立ち上げることとなりました。
コーヒー関係の会社。そうです。
軽井沢コーヒーカンパニーです。
※根底にある思いは、別で書きます。
あっという間の合同会社設立。
ここからは本当に恥ずかしいお話です。
覚悟もなく、実力が追いつかない中での立ち上げ。流れに身をまかせるしかありません。
自分の将来を不安視している中での会社設立。
必死でした。
自分を持とうと。
早い時の流れの中で、あっという間に立ち上げから2年が経ち、2018年。
この期間は、これまでの人生で経験したことのない程の糧となり、知恵となり、教訓となる時間を過ごさせていただきました。
本当に様々な感情があり、様々な良くない出来事もありました。
そしてその期間は、真剣に自分の将来や人生に向き合っていくという事を本気で意識し始めた期間でもありました。
勉強をさせてもらったと思えるようになりました。
勇気を持ち、自分を信じる事が出来るようになりました。
感謝です。
自分の人生を見つけるには少し遅いスタートを切った私。
2018年の終わり。
もう迷いはありませんでした。
茨の道に来た板倉和之
これまでもそうですが、ここからも茨の道。
もちろん全てが自分の責任です。
後にも引けない状況。行くしかありません。
悩み、考える日々です。
ハゲそうです。
ストレスフリーになることは、現段階では少ないかもしれません。
しかし、これまでの環境を考えると幸せなことです。
きっかけがあり、会社を持たせていただくようになりましたが「自分のお店を持ちたい」という夢が実現したのですから。
変化した板倉和之
以前は自信なく、なんとなく過ごしてきた私ですが、現在は自分の人生の目標ややるべき事を日々見据えながら人生を歩んでいます。
もちろん、まだまだ足りないことだらけです。
ですが、自分を見失い続けることは無くなりました。
そうなりかけた時、心から信頼を置ける相談者もできました。
社会人になり、上司や同僚、部下、様々な人と関わり合っていく世の中。
私見たくノーと言えない方もいらっしゃるでしょう。
人に騙されて、もしかしたら借金を負った人もいるでしょう。
前が見えなくなることもあるでしょう。
私もそうでした。
自信のない、自分を持てない人生でした。
お先真っ暗な時がありました。
でも、勇気を持って行動することが大切だということを知りました。
頭でいくら考えても、悩んでも、状況を良くするには動くしかありません。
誰かに助けてもらってもいいし、相談することだっていいと思います。
大切なのは自分で動くこと。
初めの一歩ですね。
紆余曲折な、何もない人生から、現在の自分に至ります。
最後に
だらだらと自分のことについて書きましてすみません。
しかし、軽井沢コーヒーカンパニーの板倉和之とは、こういう人間ですというのを知って欲しかったのです。
掻い摘みましたが、こんな冴えない人生を歩んできました。
・誇れることがない
・ネガティブ思考
・人見知り
・自分を持てない
・流される人間
そんな人間です。
もしかしたら、世の中には似たような境遇の方もいらっしゃるのかもしれません。
自分を持てず、流される方もいらっしゃるかもしれません。
でも「はじめの一歩」を意識すれば大丈夫です。
動こうとすれば、動けます。
板倉和之は今、自分を持ち、自分の考えで歩みを進めています。
躓くこともあるでしょう。
でも、失敗しても命までは取られません。
また一歩ずつ踏み出せばいいのです。
自信を持って、前を向いて、日々を過ごしています。
さて
今回は板倉和之についてのお話になります。
「軽井沢コーヒーカンパニーを運営している人間は、こんな奴なんだ」
というのを知っていただければ幸いです。
肝心な軽井沢コーヒーカンパニーについては、またお話しさせていただこうと思っています。
こんな私ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
そして、軽井沢コーヒーカンパニーをよろしくお願い申し上げます。
KARUIZAWA COFFEE COMPANY
板倉和之
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